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奥野ダムの紹介
昨日に引き続き、今度は奥野ダムの上です。


トンネルの手前に伊東市街から来ると左に入る脇道があります。


右奥の建物がダムの事務所。左側の駐車場に車を止めて歩いていきます。

駐車場の手すりのところからダムの外側斜面を撮影。
手前のコンクリート部分が水を流すところです。


ダム事務所。下をくぐって向こう側に湖です。


「奥野資料館」という矢印がありましたが、撮影直後に閉館になってしまい
見ることはできませんでした(-"-) ここから見えるのはダムの上の道です。


ダムの右側にもきれいな道が続いています。立っているのは桜の木。
手前にダムの説明があります。


アップで撮ってみましたが、こういう看板の文字を読める程度に鮮明に
しようと思うとサイズ的にはちょっとムリがありますね。

例によって、ここに書き出しましょう。
『奥野ダムが必要になった理由』
昭和33年9月に襲った狩野川台風により、伊東市街を流れる伊東大川が
氾濫し大きな被害が出ました。下流では建物が多く川幅を広げることが
難しいので、洪水を繰り返さないためには、上流にダムを造り、洪水を防ぐ
ことが必要となりました。また、伊東市は観光地として発展し続けており、
将来の水不足に備えて新しい水源を確保しておく必要があるのです。
1日に最大3万5千立方米の水を伊東市に供給できるこのダムは
平成2年3月に完成したそうで、そのとき水没した戸数は27戸。
中央土質遮水壁型ロックフィルダムという形式で
堤高は63m、堤長は323mです。

この手前の溝から水を流します。


反対側に行ってみると、このように↓なっていました。
今は全く水が無いですが、大雨の放水時はかなりな迫力でしょうね。


また反対側を見るとなにやら大きな石が・・。


寄ってみると「奥野ダム」の碑でした。


そのそばから長閑な湖面を・・。


奥野ダムの碑と並ぶように「松川湖」の碑が・・。
ダム完成当時の伊東市長でしょうか右下に「芹沢昭三」と・・。
でも、外から来た私は奥野の「ダム湖と松川湖」が別物だと思ってて、
同じモノだと判って以降は逆に、
・・「松川遊歩道」というのが伊東市内にあるのですが、・・
ずっと、この松川湖の周囲を巡る遊歩道のことだと思ってました(>_<)


その反対側に下におりる階段があります。


階段の先はずっと右下のほうへ道が・・・実は下に公園があるのです。
「おくの公園」というそうです。


ダムの上をジョギングしている人がいます。


振り返ってダム事務所方向を写してみました。
軽く走るのによさそうな舗装でしょ。


角度を変えて湖を撮影。右端に写っているのが、取水口だと・・。


スタートとゴールの板。4800mですね。矢印は左を向いているので、
ダムの上を向こう側まで行ってグルッと周ってくるのが順路なんですね。


事務所の下が大きな口を開けて待ってますので、そろそろ帰ることにします。


本線に戻った斜め前に佇むうなぎ屋。屋根にも「うなぎ」と
書かれていますが、どの角度に見せるためなのかちょっと不思議。


そばへ寄ってみました。「ふくや」さんという名だと何処かのページで
見ましたが「福也」と書くんですね。


すだれで中は全く見えません。で、中に入って聞いたところ、
特にお休みはないそうです。伊豆にいる間に一度は来なくちゃと思いました。


少し下ったところに右に入る脇道があって「おくの公園」はここから。
もう少し花が咲いたら行ってみましょう。


右の先の赤い看板はホームセンター「ハンディ」。左に上がる脇道には
「万葉の小径」の札が立っていました。伊東市内に数ある遊歩道の一つ。
奥野ダムから流れ出す松川沿いのハイキングコースで「八代田」バス停まで
続いています。草花を詠んだ万葉集の歌碑が所々に設置してあるそうです。


前出のハンディ。街中〔伊東の郵便局本局前〕にもありますが、
こちらの方が規模が大きくホームセンターとしては伊東の3本指。
あとの2つは、ここから程近いカインズホームと川奈のケーヨーD2。


城山橋です。ここを渡ると交差点があり、左が市街地、直進が伊豆高原です。


izukougen | 奥野ダム 松川湖 | 21:06 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
奥野ダム周回道路・・・右奥の車で行けるところ
あまりの暖かさに久しぶりに奥野ダムの松川湖まで足を伸ばしてみました。
松川湖は治水と水道用水を兼ねたダムによる人口湖ですが、
公園が整備されて、周回道路は1周4.8キロのウォーキングコースです。

上図のトンネルを過ぎて少し行ったところから湖沿いの道に入ることができ、
図の左上のところまで湖の右側を車で行くことができます。
手前のダムの上から湖の左側の道を通って最も奥まで、車は通行禁止です。

今日は車道の案内をします。

トンネルを抜けて真っ直ぐ行くと中伊豆バイパスから
伊豆スカイラインの冷川料金所へと繋がりますが、
湖に沿って周ったあたりで左に入る脇道があります。
湖沿いに続く車道で最も奥まで行け、所どころに駐車場やお手洗いもあります。
湖越しの山肌にそびえる木々を撮ってみましたが、何という木なのでしょう?


少し右のほうにも群がって生えてます。
手前の黄色は「蝋梅公園」。こちら側の斜面一帯に広がって咲いています。


ずいぶん奥まできました。遠くに橋が見えます。


手前の広場は梅園ですが、まだほとんど咲いていません。
今年は、熱海の梅園も寒波の影響で遅いと聞きましたが、こちらも遅いようです。


ここが最奥の車は行き止まりの地点です。橋の右手の黄色の花は蝋梅です。


蝋梅のアップ。蝋細工のように見えることから付いた名前とのことですが、
香りはかなり強く、あたり一面に漂っています。


少し戻った辺りの広場に立て札「相撲の河津がけと奥野の狩り」。
この札の説明を読むまで「かわづがけ」は「蛙掛け」だと思ってました。
ちょっとびっくりしたのと、写真では文字が不鮮明なので、全文を書き出してみました。

『相撲四十八手の中に「かわづがけ」の名を残す河津三郎祐泰は、伊東の領主
伊東祐親の嫡男である。曾我物語によれば、伊豆に流されて伊東の地にいた
源頼朝を慰めるため、東国の武士達が伊東に集まって巻狩りをした。それが、
有名な奥野の巻狩りであり、その余興として行われた若者たちの相撲大会で
勝ちに奢る股野五郎を敗って、天晴れ名誉の名をとどめたのが河津三郎である。
この奥野には相撲場跡と伝承される場所があった。ダム工事にともなって
場所を移動し、今はこの川向こうの梅林のそばに、河津三郎の相撲の
モニュメントが建てられている。
なお、市内にある河津三郎祐泰の菩提寺東林寺には、大日本相撲協会の
時津風理事長・横綱栃錦らの名を刻んだ河津三郎顕彰の相撲碑がある。
                         伊東市教育委員会』

湖の奥側からダム事務所方向を撮ったものです。



izukougen | 奥野ダム 松川湖 | 20:30 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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